【動画あり】江戸時代の大阪の町屋を歩ける大阪くらしの今昔館を散策
新型コロナウイルス感染症の影響に伴い、店舗や施設によっては営業時間などが変更になっている場合があります。お出かけの際は公式HPなどで最新の情報をご確認ください。

大阪市北区にある大阪くらしの今昔館は江戸時代から近代の大阪まで「住まいの歴史と文化」をテーマにした日本で初めての専門ミュージアムで、江戸時代後期の大阪の町並みを実物大で復元した「なにわ町家の歳時記」は世界に入り込んでタイムスリップした気分になります。

今では当たり前の景色が昔には全くない、まるで未来人になったかのような気分で自分の生まれる遥か昔の大阪の街を覗ける大阪くらしの今昔館さんから特別に撮影許可を頂けたので、アクセス方法や実際に行ってみた感想などを写真や映像を交えてご紹介します。

大阪くらしの今昔館へのアクセス方法

電車で向かう方

地下鉄 大阪メトロ堺筋線 天神橋筋六丁目駅から 徒歩 約2分

3番出口を進むと目の前に大阪くらしの今昔館への案内入り口がありました。

自動ドアを通って今昔館へ向かうエレベーターに乗ります。

大阪くらしの今昔館へ向かう方は4号機のエレベーターに乗るようにという指示表が壁に貼られていました。

エレベーター内には丁寧にシールまで貼っていました。

バスで向かう方

  • 大阪メトロ 天神橋六丁目(バス停)より 徒歩 約2分

車で向かう方

施設専用の駐車場がないので、お近くの有料駐車場をご利用ください。

それでは早速館内をご紹介します。

大阪くらしの今昔館の入館料

区分値段
大人¥600
高・大学生¥300
中学生以下無料(学生証提示)

館内紹介

大阪市立住まい情報センターという建物内にあり、8階〜10階までが『大阪くらしの今昔館』となっています。

8階は近代大阪の代表的な住まいと暮らしを模型や資料で再現した「モダン大阪パノラマ遊覧」と「企画展示室」、9階は「なにわ町家の歳時記」、10階は9階を眺めることができる「展望台」となっています。

順番的にはエスカレーターを降りてすぐが10階となっていました。

入館の注意事項

リュックサックなどのカバンを背負うと展示している建物を傷つけてしまう恐れがあるので入場する際は荷物を前に抱っこして持つようにする、もしくは無料のロッカーがあるのでロッカーに荷物を入れてから入場します。

今回はロッカーを利用しました。

荷物を預ける際100円を入れなければなりませんが鍵を開けた時に100円は返ってきますのでご安心を!

入り口を通った先にカウンターがあります。

カウンターにはアルコール消毒剤と謎解き体験の紙があります。

謎解き用紙を持って江戸の街を探索して全て謎が解けたら景品と交換してくれるみたいです。

街中でも実際にペンを持った夫婦が謎ときを楽しんでいました。

カウンターの前を通り過ぎた先にはその日のイベントがわかる看板が設置してあります。

今昔館では、行った日によって町家衆( ボランティア)がさまざまな催しを行っています。

来館された方々を町家衆が催し物を通じて味わうことができます。

入場したらエスカレーターを登って展望台のある10階へ向かいます。

10階 展望台

この階では江戸時代の大阪の景色を見ることができます。

10階では当館の日本語ガイドを担当している人間国宝の落語家「桂米朝」さんによる端正で上品な語り口調を楽しめます。

ナレーションの内容は9階常設展示室内のガイドが聞けます。

音声ガイドの貸し出し有料(100円)です。※対応言語:日本語、英語、韓国語、中国語

奥へ進み、階段を降って9階の「なにわ町家の歳時記」へ向かいます。

9階 なにわ町家の歳時記

9階は「なにわ町家の歳時記」ということで江戸時代の大阪の町が実寸大でリアルに再現しています。

ちなみに9階にはこの街もミニチュアで表現された展示室もありました。

なかなか細かく再現してあったので本当にクオリティの高いものを再現して展示しているのだとミニチュアを見たときに感じました。

ミニチュア江戸の町の再現性の精巧さは見事なものでした。8階のモダン大阪パノラマ遊覧のエリアに行くとミニチュアで再現されているさまざまな時代の光景を見ることができます。

それではまずは9階 江戸の街の様子を簡単にご紹介します。

木戸門(きどもん)

当時は街と街の間に木でできた大きい扉がありました。

今昔館の木戸門は閉まることはありませんが、江戸の頃は夜22時になると扉は閉められていました。

しかし、門限を過ぎると大きい扉は開かないので、大きい扉についているひとまわり小さい「くぐり戸」と呼ばれる扉から門番さんにお願いしてもらって中に入っていたらしいです。

火の見櫓(ひのみやぐら)

火の見櫓は火事の時に上り、吊るされた鐘を叩き「火事だから逃げろ!」と街の人に知らせる役割を果たします。

ちなみにこの空はドーム型のスクリーンになっているので雷が鳴ったり晴れたり夜になったり様々な江戸の街並みを体験することができるようになっています。

道には「用水桶(ようすいおけ)」といったものが置いてあり、これも火事になった時にすぐに火を消せる様に置いてあります。

本で読んだ知識ですが、江戸の建物は用水置があっても水では消せないほど炎が回ってしまう場合もあったので水で鎮火することは難しかったらしいです。

建物も木製の建物が多かったので火はすぐに広がってしまうので、「火消し屋」という今でいう消防隊が火が回りそうな家を先回りして家屋を縄で括り付けて、一斉に引っ張って壊していたそうです。

建具屋(たてぐや)

「萬立具所」と書かれた看板が木戸門から入ってすぐ右側にありました。建具屋とは襖屋(ふすまや)さんみたいなもので家の扉や和室の扉などを作っているお店です。

商品棚を見てみるとどうやらドアノブらしきものがたくさん並べられていました。

障子扉用の「引き手」に使用されるであろう金物などが置いてありました。

唐物屋(からものや・とうもつや)

唐物屋は輸入雑貨店といった感じで様々な場所から珍しい物を取り揃えて販売しています。

展示されている唐物屋は「摂津名所図絵」に描かれている「疋田屋(ひきたや)」というお店を再現した建物です。

お店の前には「エレキテル」という白い箱に青い植物が描かれたモノが置いてありました。

前についている薄暗い金色のハンドルを回すと静電気が発生するということで当時は面白がって人が集まって来たそうです。

人形屋(にんぎょうや)

人形屋はおもちゃ屋さんみたいなもので、人形のみならず玄関には「お面」が飾られており、店内には「凧」なども飾れていました。

当時は「こま」や「まり」といったおもちゃも買えたんだと思います。

本屋(ほんや)

お店に並ぶ本はかなり年季の入った本がたくさん積まれており、文字がぎっしりと書かれていました。

店内には歌舞伎の「浮世絵」が並んでいました。当時、大阪の道頓堀には芝居小屋がたくさん並んでおり歌舞伎はかなり人気で浮世絵もよく売れていたそうです。

呉服屋(ごふくや)

呉服屋は「呉服」という和服を扱うお店を指す言葉で、着物や帯のほか、和装の際に履く草履や髪飾りなどの小物なども扱っています。

染め物や織り物など綺麗なデザインの帯が飾られていました。

江戸の時でこんな綺麗なものが作られていることに改めて私たちのご先祖さんにあたる昔の方々は器用な人が多くてすごいなぁと感じさせられました。

小間物屋(こまものや)

小間物屋では女性のお化粧品や簪(かんざし)などの小物が買えるお店です。

お店の看板にはおたふくの仮面で見かけた似顔絵が描かれていました。

一つ一つ見ていたのですが、現在のメイク道具にも使用されていそうな化粧筆なども置いていました。

薬屋 「ウルユス」

和漢薬を売っているお店です。腸座薬のウルユスなのですが名前の由来は、胃の中を空にする「空」という漢字を分解したものです。

ただ、このままだと「ウ・ル・ユ」となってしまうのですが語呂がいいからと何となく「ス」をつけた所大ヒットしたそうです。

店内には「薬味箪笥(やくみだんす)」が置いてありました。これは100種類の漢方薬の原料が入っているタンスです。

千と千尋の神隠しの鎌じいが登場する部屋にもこんな箪笥が壁一面にあったのを思い出しました。

風呂屋

お風呂がなかった家はお風呂屋さんに来て体を流していました。

入ってすぐ目の前には脱衣所があります。

館内の風呂屋ではシアターが上映されるのでしばらく映像を見ていました。

内容はいなくなった街の子供を街の女の子3人が探すといった内容です。

あんまり長く滞在する方はおらず、気づけば筆者の私だけが最後まで見ていました。

上の写真の左下あたりに光っている穴がありますが、ここを覗くと風呂場が見れました。

石榴口と呼ばれるお風呂に入る入り口があるので当時はここを潜ってからお風呂に入っていたらしいです。

江戸時代中期まではまだ混浴だった

お風呂屋さんでの様々なトラブルでお風呂は男女別ということを京都や大阪では天保年間(1830年から1844年)頃まで、江戸は寛政の改革(1787 [天明7]年~1793[寛政5]年)まで男女混浴でした。

かしや(貸家)

大阪の空き家を指しており、表には「かしや」の札が貼られています。

当時の貸家さんは表に貼る「かしや」の札を斜めに貼るというのが一般でした。

部屋は本当に何もなく畳から何から全部自分で用意しなきゃいけないということでした。そういう意味で「裸貸し(はだかがし)」と呼んでいたそうです。

何もない「かしや」の部屋だけモニターが置かれていました。

隣の家には斧の一種の(ちょうな)や(かんな)などがあったりそのお隣には天秤棒(てんびんぼう)や笊籬(いかき)が置いてありました。

大工や新鮮な野菜を売っていた商人などが住んでいたんだろうなぁという事がわかりました。

一番端の家には服が干されていたのですが、太鼓とかが置いてあったので駆け出しの役者なのか、音楽家なのか、お祭り大好き男なのか、ただのお調子者なのか、様々な想像は膨らむだけ膨らみましたがどんな人が住んでいたのかは全くわかりませんでした。

天井には引き窓というものがありました。紐がぶら下がっていて、紐を引っ張ると天井の小窓が開きます。

朝はこの天窓を開けて部屋の中に灯りを取り入れて、夜は閉めます。

走り元(台所)

一昔前の台所を再現しており、現在の水道・ガス・電気を全て取り除かれた状態みたいな感じです。

竈(かまど)は火種を薪に入れて「火吹き竹」で火を起こして料理をしていた様で、当時のお嫁さんは火をつけるのはとてもコツがいる大変な作業だったということでした。

走り(流し台)

ここでお皿などの食器を洗ったりします。ただ、現在の様に蛇口がないので水は出てきません。

昔の人は井戸で水を汲んで使用していました。

大きな家の中にはこの様に井戸がありそこから水を汲んでいたのですが当時の大阪の水は鉄分が多く含まれていて「鉄気(かなけ)」がするので飲料水には適していませんでした。

鉄気のあるまずい水は飲めないので、たまーに訪れる水屋さんが飲める水を運んできて売りに来るのでその水を購入し、「水壺」という壺に入れて飲料水・料理に使う水を保管していました。

左側に見える木の蓋が載っているのが水壺です。

共同の井戸と便所

長屋の一番端にある井戸と便所は共同となっており、井戸の周りでは洗濯を付近の人たちと話ながらしていたそうです。

井戸端会議という言葉はここから生まれました。

昔の共同トイレは惣雪隠(そうせっちん)と呼ばれ屋根は瓦葺き(かわらぶき)で扉もちゃんとありました。

土蔵(蔵)

昔の建物は木造建築で家事になったら全焼してしまうということで家事を恐れていた昔の人は裏庭に火にに強い漆を塗った分厚い土壁の土蔵という蔵を建て、その中に大切なものなどは保管されていました。

夏は涼しく冬は暖かったので物を管理するという点では最適だったそうです。

8階 モダン大阪パノラマ遊覧・企画展示室

企画展示室は常設展とはまた違った特別なエリアとなっており、時期によって展示内容が変わるので、事前に公式サイトで展示する内容を確認してから行くのも良いかもしれません。

近代大阪の代表的な住まいと暮らしをミニチュア模型や資料で再現しているエリアです。

とても細かく再現されており当時の雰囲気などが作品を通して感じることができました。

1921年頃の大阪の天神祭の様子です。

ジオラマ付近では当時の祭りの雰囲気をミニチュアで再現しているのですが祭りのBGMも流れて臨場感などが
よく伝わってきました。

6つあるうちの4つの時代の景色を見ることだできたのでご紹介します。

昔の床屋の雰囲気も人形サイズで再現されていました。

その他にも戦後間もない城北バス住宅での生活の様子も再現されていました。

当時はバス1台を改造したものが住宅となっていて野菜を育てて自給自足をしていたり、付近に爆弾が落知多後は爆弾池と
呼ばれそこにいるザリガニを釣って遊んでいる子供もいたそうです。

現在でも淀川の河川敷の下流域で第二次世界大戦末期にB29の爆撃によって空いた穴に水が溜まってできた爆弾池があります。

地面には巨大な大阪のパノラマ地図が表示されていました。

川口居留地(かわぐちきょりゅうち)

川口居留地は、慶応4年(1868)の大阪開港に伴って安治川と木津川に挟まれた場所につくられました。

道路には歩道、街路樹、街灯が整備されて西洋館が建ち並び、テニスコートやパンと牛乳の店などが誕生しました。

※そこでだけ外国人が居住・営業することを許した特別地域。

模型で見ていたのですが、洋風デザインの建物や言語の壁を超えて遊ぶ子供たちなども見つけました。

この時代の外灯はガスで灯していた「ガス灯」で業者の人が1つずつ点検していました。

北船場(きたせんば)

明治45年(1912)市電の敷設にともなって堺筋は12間幅に拡幅されました。

これを機に近代的ビルや近代的町家が建てられ都市景観は大きく変わりました。

この時代には、路面電車と車道が左右に走っている姿が見れました。

今もあるこの風景はこんな時代から始まっていたのかぁと少し驚きました。

当時はこの路面電車と並走して銀バスというバスも運行していたみたいです。

台車で運んだりしていますが、この時代は馬が荷車を運ぶ「荷馬車」も利用されていました。

いつの時代から公共の場で無くなったんですかね。

大大阪新開地(だいおおさかしんかいち)

大正14年(1925)大阪市は、周辺の町を併合した「大大阪」を誕生させました。

新たに市域に編入された新市街地は大大阪新開地と呼ばれ大正8年(1919)にはじまる土地区画整理事業が完成すると
長屋建の貸家が建てられました。

この時代ぐらいから建築士は「洋風」のデザインを取り入れ出したのかなと思わせる洋風の長家がちらほら見かける様になりました。

古市中団地(ふるいちなかだんち)

昭和28年(1953)から建設がはじまった城東区の古市中団地は総合的な手法による計画的な大阪市営住宅団地です。

団地は水洗トイレやバルコニーが備え付けられるなど、新しいライフスタイルの住宅として注目を浴びました。

この時代から公園の遊具なども建築士がデザインを考える様になってきました。

何か建物を建てる時、今は鉄筋のパイプを組み立てている足場も昭和初期の大工さんは丸太で足場を作っていた様です。

戦後ベビーブームということでかなり多くの子供がいたそうで、他の時代の模型と比べてもかなり子供の数が多かったです。

この大阪暮らしの今昔館では500円で着物レンタルができるので自分の生まれる遥か昔の時代を当時の衣装で歩いてさらに江戸の気分を味わってみるのも良いかと思います。

企画展示室

企画展示室は8階の入り口より奥へ進んだ場所にあります。

毎年、期間限定で展示内容が異なり、特別展や企画展示などが行われています。

今回訪れた時に開催していたのは「掌(てのひら)の建築展 ― 橋爪紳也+遠藤秀平 建築ミニチュアコレクション ―」
でした。

「住まいの歴史と文化」への関心を高めてもらうことを目的に開かれた「拳の建築展」では、世界中から建築物のミニチュアを集め、今回の展示会では約800点ほどが展示されていました。

感想

遥か昔の大阪の街をただ建てて再現しただけではなく、音声やライトアップなど様々な演出を繰り広げてより当時の雰囲気みたいなものが伝わったのでとても貴重な体験になりました。

今ある生活にはなかった様式みたいなものも、当時の大阪の暮らしを覗いてみて知る事ができるきっかけにもなりました。

大阪くらしの今昔館では夏頃になると天神祭の雰囲気に合わせた展示品になったり、季節に合わせて展示しているものが異なるので訪れる際はどんな催し物なのかを公式サイトなどで是非チェックしてみてください!

これから大阪くらしの今昔館に行くという方はお気をつけていってらっしゃいませ。

※掲載情報は2021年11月10日公開時のものです。
現在の内容、プランや料金などが異なる場合がありますので、お出かけの際は必ず事前に公式サイト等で情報を再度ご確認ください。
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