福岡県の太宰府駅から歩いて数分のところにある太宰府天満宮は菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つで日本全国から例年は正月三ヶ日(しょうがつさんがにち)は約200万人以上、年間にすると約1000万人以上の参拝者が太宰府天満宮に訪れます。
受験合格・学問成就・病気平癒・雷除け・火除け・家内安全・芸能上達と様々なご利益がある太宰府天満宮さんから特別に撮影許可を頂けたので、アクセス方法や実際に行ってみた感想などを写真や映像を交えてご紹介します。
- 1. 太宰府天満宮へのアクセス方法
- 2. 太宰府名物「梅が枝餅」
- 3. 意外と知らない人が多い神社の作法
- 4. 境内の紹介
- 4-1. 案内所
- 4-2. 東風吹かばの歌碑(こちふかばのかひ)
- 4-3. 延寿王院(えんじゅおういん)
- 4-4. 太鼓橋(たいこばし)
- 4-5. 今王社(いまおうしゃ)
- 4-6. 志賀社(しがしゃ)
- 4-7. 絵馬堂(えまどう)
- 4-8. 手水舎
- 4-9. 楼門(ろうもん)
- 4-10. 飛梅(とびうめ)
- 4-11. 本殿
- 4-12. 夫婦樟(めおとくす)
- 4-13. 大樟(おおくす)
- 4-14. 菅公歴史館・崇敬者会館
- 4-15. 誠心館(せいしんかん)
- 4-16. 無料休憩所
- 4-17. 包丁塚(ほうちょうづか)
- 4-18. 宝物殿(ほうもつでん)
- 4-19. 菖蒲池(しょうぶいけ)
- 4-20. 天開稲荷社
- 4-21. 奥の院
- 4-22. だざいふ遊園地
- 4-23. 鬼すべ堂
太宰府天満宮へのアクセス方法
電車で向かう方

西鉄 太宰府線 太宰府駅より徒歩 約5分
バスで向かう方

西鉄太宰府駅(バス停)より徒歩 約5分

駅降りてすぐ迷ったら、駅前に大きな地図があるので地図を頼りに歩いてみてください。

神社へ向かう最中にはこのような長い道があります。
大通りには様々なお店が立ち並んでおり独特なデザインの外観をしたスターバックスコーヒーなどもあります。
この先を真っ直ぐ突き進むと太宰府天満宮があります。
太宰府名物「梅が枝餅」

太宰府天満宮に訪れた方に食べてもらいたいのが名物の「梅が枝餅(うめがえもち)」です。
梅が枝餅の中は、もちもち食感の生地の中に甘くて美味しい餡子が入ったお饅頭です。
諸説はありますが、太宰府に左遷されて罪人同然の扱いを受けた菅原道真公は当時、外出ができなかったそうです。
その様子を近くで見ていたお婆さんが、その辺にあった梅の枝をへし折って餅を刺し、誰にもバレないようにこっそり菅原道真公に差し入れをしていた姿から梅ヶ枝餅が誕生したというわけです。

今回は「かさの家」というお茶屋さんで購入しました。
家に持ち帰って電子レンジで600Wで10秒ほど温めて食べました。
1つずつ梱包されているので、袋のまま包丁を上から押さえつけるような感じですると綺麗に2つに割れて食べやすくなります。
レンジで温めて直ぐは中の餡子が熱いので火傷しないように注意してください。
太宰府に訪れたら、お土産で1つ購入してみてください!

先ほどの道を真っ直ぐ行くと鳥居があり、右側には案内所が見えます。

太宰府天満宮境内の入り口より少し手前に、右に曲がることができる通路があります。
右に曲がった道を少し歩くと3つほど建物があります。
定遠館(ていえんかん)

先ほどの通路を少し進んだ右側にありました。
1894( 明治27年)太宰府天満宮の神職・衆議院議員でもあった小野隆助さんは、日清戦争で沈没した中国海軍(清国海軍)の旗艦「定遠」をおよそ1年をかけて引き揚げ、定遠の部品を用いて記念の館を建てたそうです。

定遠の前には看板が建てられており、建物についての説明が書かれていました。
写真に写っている茶色い錆びた扉は入口の門扉で、扉には砲弾で炸裂した現在でも痕が残っている装甲板を使用されています。
浮殿

戦前までは心字池周辺にありました。
平安時代の1101年からはじまった太宰府天満宮の秋の神幸祭で曲を披露するのですが、周辺にある水面にその影が映る姿から「浮殿」と名付けられたそう。

建物の付近にある看板に説明が書かれていました。
光明禅寺(光明寺)

光明禅寺(光明寺)は九州で有名といわれる石庭があります。
現在では参拝客のマナーの悪さから撮影禁止となってしまい、門は閉じられています。

門の外には光明寺についての説明が書かれた看板がありました。
意外と知らない人が多い神社の作法
大まかな作法ではありますが基本はこんな感じですのでご参考までに!

鳥居を通る際は真ん中は神様が通る道と言われているので真ん中は通らないように左右どちらかを歩きましょう。
お参り
お賽銭の時は鳴らしてから気持ちを整えてからお賽銭する
1. 一度姿勢を正し 深いお辞儀 を2セット
2. 胸の高さで右手を少し引いて手を合わせる
肩幅程度に両手を開き、2回打つ
3. 手を合わせ、心を込めて祈る
4. 深いお辞儀をする
他にも細かい作法があるのですが完璧を求めていない方ならこの辺を覚えるだけで大丈夫だそうです。

他にも授与所には御朱印500円、
御朱印帳(16cm×11㎝)2000円で販売しています。
御朱印ってなんだ?という方に簡単に説明すると神社を参拝した記念に押してもらうハンコみたいなものです。
御朱印は神様と縁を結んだ証のようなものです。
先程までも境内の紹介でしたが神様が祀られている場所を回ってみました。
早速、入り口から順にご紹介します。
境内の紹介
案内所

境内に入る所にある案内所では境内マップをもらえたり、ちょっとした小物なども購入することができます。

案内所の右側には、うちわが飾られておりショーケースには巾着やハンカチ、お菓子などが並べられていました。
東風吹かばの歌碑(こちふかばのかひ)

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
菅原道真公が都を去る日に住まいであった紅梅殿の梅に想いを込めて詠んだと言われている和歌を記した歌碑です。
案内所の一つ隣にある茂みの中に背の高い石があるので訪れた際は是非チェックしてみてください。
延寿王院(えんじゅおういん)

延寿王院(えんじゅおういん)は太宰府天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていたときの宿泊施設です。
現在は宮司さんのお家になっているそうです。
太鼓橋(たいこばし)

写真のように3つの橋が連なって一つの大きな橋となっているのが太宰府天満宮の太鼓橋。
太鼓橋を通って本殿へ向かうのですが、それぞれの橋には「過去」・「現在」・「未来」と3つの橋に分かれていて、橋を渡る時は願掛けをしながら歩きます。

願掛けしながら渡る方法
- 一番最初に渡る太鼓橋は「過去」と言われている橋で絶対に後ろを振り向かないでください。
- 二番目の太鼓橋は「現在」と言われている平橋でここは立ち止まらずまっすぐ前を見て渡ります。
- 三番目の最後の太鼓橋は「未来」と言われていてつまづかないように歩きます。
これが願掛けしながら橋を渡る方法です。
今王社(いまおうしゃ)

最初の太鼓橋を渡ってすぐ右にあるのが小さな末社の今王社です。
今王社は、喪中や忌中の期間は本殿の神社に参拝できないことがあるので、そういった際には今王社で参拝すると本殿にお参りしたことになるそうです。
志賀社(しがしゃ)

太鼓橋の二番目の橋を渡り切った辺りの横にある建物で、境内では現存する最古の建物で、長禄2(1458) 年の建立されました。
この太鼓橋にある建物はどちらも素晴らしい建物ですが、願掛け最中は気付かずに通り過ぎてしまいがちですので願掛けが終わった後にでも是非立ち寄ってみてください。
絵馬堂(えまどう)

境内にある絵馬堂は本殿の少し手前の右側にあります。
屋根の下にはベンチもいくつかあるので休憩の際はここで絵馬を眺めながら休むのもいいと思います。

大きな立派な建物なので、奉納絵馬は古いものから新しいものまで沢山あるので色んな絵馬があって見応えがありました。
手水舎

本殿付近にある桜門の手前にありました。

下から見た屋根の造りを見ましたが見事な造りでした。

大きな屋根で立派な手水舎で真ん中に水が張られていました。

ここで手水舎の利用方法について簡単に解説します。
1. 右手に柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲み、左手を洗う
2. 左手に柄杓を持ちかえ、同じように右手を洗う
3. 口をすすぐときは右手に柄杓を持ち、左手の手のひらに水を受けて口に運ぶ
※この時、柄杓は口に直接付けないでください
4. 両手で柄杓を垂直に立てて柄の部分を洗う
楼門(ろうもん)

楼門は本殿に入る為の門で、この門をくぐります。
菅原輔正(すがわら の すけまさ)が初めて造ったのですが、その後何度も焼失し、戦国時代に石田三成が寄進したのですが結局焼失。
現在建てられている楼門は明治44年(1911年)に三條栄三郎の設計により再建したものになります。

門の左右には貴族のお供をモチーフにした武官が2体が格子の中に鎮座していました。

門を潜り抜けた左には「天開稲荷社」の授与所、右側には「宝満宮 竈門神社」の授与所がありました。
2つの神社は山奥にあるので時間がない方や体力に自信のない方はこちらでそれぞれの神札・御守がもらえるようになっています。
飛梅(とびうめ)

境内の御神木の「飛梅」は毎年6月頃になると竹竿で枝を揺らして巫女さんが落ちた梅を拾い集める「飛梅ちぎり」という
神事が開催され、採取した梅はお守りに縫製され、飛梅守りとして授与しています。
ちなみに境内には約6,000本の梅の木が植えられているそうで境内からも実を集めるらしいです。
「梅の種」収め所

この梅の種の納め所は梅の種を収める所です。
菅原道真公は梅が大好物だったみたいで、時が経つにつれて梅の種には天神様が宿ると言われるようになり、「天神様が宿っているのに粗末にする事はできない」という事で「梅の種」納め所が設置されたというわけです。
普段食べている梅干しの種は捨てずに「梅の種」収め所へ納めてみてもいいかもしれません。
本殿

この本殿は天生19年(1591年)に建てられた本殿で、豪華な装飾の建物が多かった桃山時代の面影を400年たった今も姿変わらず感じることができます。

本殿の周りにはおみくじを引くことができる場所があり、壁側には太宰府天満宮の授与所がありました。

外側には書いた絵馬を飾ることができ、それぞれの願いが飾られていました。

絵馬を書くスペースも付近に設けられていました。
夫婦樟(めおとくす)

太宰府天満宮の名物がこの「夫婦樟」という御神木です。

夫婦樟の理由は根元にありました。
木の根っこがくっついており、全国的にも珍しい形で生えています。
根が繋がって、寄り添うように立つことから夫婦樟と呼ばれています。

この夫婦樟の根元には4つの摂社・御子社がありました。
大樟(おおくす)

社務所の隣には大樟というかなり大きい御神木があります。
見上げるのが大変なぐらいとても迫力がありました。

この大樟について説明されている立て看板もありました。
菅公歴史館・崇敬者会館

菅公歴史館は、菅原道真公の生涯を学ぶ施設になっています。
入館料
- 大人200円
- 高・大学生150円
- 小・中学生100円
誠心館(せいしんかん)

天神さまの「誠」を知り「心」を受け継ぐ「誠心館」の建物内は一般公開されておらず、神前結婚式などに使用される特別な建物です。
無料休憩所

ここにはトイレ休憩から幼いお子さんをお連れの方はオムツ交換ができたり、外側の別の入り口から入ることができる喫煙ルームがあります。
無料休憩場は午後4時半まで開いているそうです。

建物の中には長いベンチが複数と自販機があるので日差しの強い日や、天開稲荷社へお参り後こちらに休憩しに来るのもいいと思いました。
包丁塚(ほうちょうづか)

この包丁塚は料理人が使い終えた包丁が供養されいます。
包丁塚の側には筆塚がありました。
宝物殿(ほうもつでん)

国宝の「翰苑(かんえん)」を始めとした古文書や美術工芸品などの宝物の収蔵・展示されていたり、太宰府天満宮の成り立ちや天神信仰の歴史にまつわる映像を上映しています。
また、この建物に併設しているミュージアムショップでは太宰府天満宮オリジナルグッズや書籍を購入することができます。
入場料
- 一般 500円
- 大学生・高校生 200円
- 中学生・小学生 100円
菖蒲池(しょうぶいけ)

梅雨の時期5月下旬から6月にかけて花菖蒲(ハナショウブ)を見ることができます。
55種類約3万本がこの池の周辺に咲いており鉢ごとに異なる品種、色や花の形が違うので梅雨の時期を狙って行くのもいいかもしれません。
私が訪れた時期は5月上旬だったのでまだ花は咲いていませんでした。

後日改めて「宝満宮 竈門神社」に行った際に太宰府天満宮を経由して行ったのですが、太宰府天満宮の境内には紫陽花が至る所に咲いていました!

綺麗に咲いていたので近くからも撮ってみました。
もしかすると紫陽花とハナショウブを同時に楽しむことができるかもしれません。
天開稲荷社

境内から天開稲荷社に行く道が繋がっており、鳥居をくぐりながら登っていきます。
ここからは山道なので足元に注意して登りましょう。
私が実際に登った感想としては、鳥居をくぐりながら登るのは少し大変でしたがこの道はまだ前半です。

ちなみにこの鳥居を登らず、左側には道があるので道を進むとレンガ造りのトンネルがあります。

第92代内閣総理大臣麻生太郎さんの曾祖父(ひいおじいちゃん)である麻生太吉さんの寄進によるトンネルです。

「石板には昭和三年十一月 寄進 麻生太吉」 と彫られていました。

このトンネルは、麻生太吉さんが「お石茶屋」という茶屋で働いていた「お石さん」という女性に惚れ、お石さんが自宅と茶屋をスムーズに動けるように作ってあげたトンネルらしいです。
当時は「お石トンネル」なんて呼ばれていたそうですが、若い頃の太吉さんは「そんなわけないやん」と意地を張っていたそうです。

ですが、太吉さんは普段から神様を敬う心をとても大切にされていた方なので
宝満宮 竈門神社への近道としてトンネルを寄進されたとも言われています。
トンネルの上部には「宝満宮 参拝隧道」と書かれていました。

話は逸れましたが、後半になると一旦鳥居が途切れ、少し先にまた鳥居が現れて登る最後の階段があります。とても急でキツかったです。
写真は階段を登り切った後の写真です。

登り切った先に天開稲荷社がありました。
天開稲荷社は九州最古の稲荷社で知られており、元々は宮司邸に祀られていました。
鎌倉時代の末期に京都の伏見稲荷大社から御分霊をお迎えしました。
毎年3月になると、京都の稲荷山に稲荷大神が鎮座されることから「天開稲荷社初午祭」が行われます。

太宰府天満宮の本殿付近にあった授与所も階段を上り切った場所にありました。

木の下に小さいベンチが2つとその他にも休憩スペースが数カ所ありました。

飲める水が湧き出ていたので、ペットボトルに入れてガブ飲みしました。
奥の院

天開稲荷社の左側にさらに奥に続く階段を登ると見えてきます。

登った先には石でできた穴の前に鳥居が1つ立っています。
「奥の院」です。

中に入ると紫色の布がかぶさっていました。
御供物(おそなえもの)は、野生の動物が荒らすので置かない様にして欲しいとシールが貼っていました。
だざいふ遊園地

お子様連れで神社を参拝の方はだざいふ遊園地はとても喜ぶと思います。
菖蒲池(しょうぶいけ)の裏手に真っ直ぐ進むとだざいふ遊園地があります。
アクセスも良好なので幼いお子様と一緒に足を運んでみてはいかがでしょうか。
鬼すべ堂

鬼すべ堂では毎年1月7日に行われる「鬼すべ神事」は、その年の災難消除や開運招福を願い、地元氏子会が中心となって行われる日本三大火祭りとして知られる火祭りです。
- 開運招福(かいうんしょうふく)=運が開け幸せを招きますように祈る
- 災難消除(さいなんしょうじょ)=災難を消したり退け事故や病気などから自分や家族を守る
祖霊殿もありました。

太宰府天満宮の祖霊殿は太宰府市にある葬式を行う場所で、神徒会会員の葬儀を受け付けています。
バリアフリーに対応していて、 入浴・シャワー施設も備わっている宿泊施設も完備されています。
太宰府天満宮を普通に参拝する方はまず訪れないであろう場所ですので住所などの詳細はスポット情報ページをご覧ください。
感想
今回は太宰府天満宮へ行ってみましたが、全部回ろうと思うとなかなかの規模の広さで疲れました。(笑)
今回は天開稲荷社だけ登って行ってみましたが、猛者はこのまま下山してさらに数キロ奥に進むとある「宝満宮 竈門神社」へ参拝へ行かれるようです。
私は後日改めて竈門神社へ向かったのでその時の様子は別の記事で紹介しています。もしよろしければご覧ください。
天満宮の総本宮である太宰府天満宮、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
これから太宰府天満宮へ向かうという方はお気をつけていってらっしゃいませ。
映像や写真撮影は事前に特別な許可を得た上で今回の記事を制作しています。
新型コロナウイルス感染症の影響に伴い、店舗や施設によっては営業時間などが変更になっている場合があります。
現在の内容、プランや料金などが異なる場合がありますので、お出かけの際は必ず事前に公式サイト等で情報を再度ご確認ください。